静岡地方裁判所 平成4年(ワ)143号 判決 1997年11月28日
甲事件・乙事件原告
鈴木志正
右訴訟代理人弁護士
清水光康
甲事件被告
静岡県
右代表者知事
石川嘉延
右訴訟代理人弁護士
牧田静二
右訴訟復代理人弁護士
石割誠
同
祖父江史和
右指定代理人
原田裕司
外二名
甲事件被告
学校法人三島学園
右代表者理事長職務代理者理事
緒明實
甲事件被告
亡上杉茂訴訟承継人
上杉三津子
外二名
甲事件被告
林茂樹
外二名
乙事件被告
三島高等学校父母の会
右代表者会長
関知二
同
三島高等学校同窓会
右代表者会長
雨宮演邦
乙事件被告
岡田憲明
外七名
右一七名訴訟代理人弁護士
長橋勝啓
同
河本與司幸
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は甲事件乙事件とも原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求(以下甲事件及び乙事件原告を単に「原告」といい、甲事件被告ら及び乙事件被告らには「被告」と冠して特定する。)
一 被告学校法人三島学園は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成三年四月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告学校法人三島学園、同静岡県、同亡上杉茂、同林茂樹、同飯田和信及び同村田諭隆は、原告に対し、連帯して金八〇〇〇万円及びこれに対する平成三年四月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告三島高等学校父母の会、同三島高等学校同窓会、同岡田憲明、同渡辺修身、同松田久佳、同岩崎弘信、同五十嵐昇、同岩崎ふみ、同大川久江及び同日高大は、原告に対し、連帯して金五〇〇〇万円及びこれに対する平成三年四月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告亡上杉茂、同林茂樹、同飯田和信及び同村田諭隆は、別紙記載一のとおりの謝罪広告を、被告静岡県は、別紙記載二のとおりの謝罪広告を、被告三島高等学校父母の会、同三島高等学校同窓会、同岡田憲明、同渡辺修身、同松田久佳、同岩崎弘信、同五十嵐昇、同岩崎ふみ、同大川久江及び同日高大は、別紙記載三のとおりの謝罪広告を、静岡新聞、毎日新聞及び読売新聞にそれぞれ三段抜き一〇センチメートル四方で掲載せよ。
五 訴訟費用は被告らの負担とする。
六 一項、二項及び三項につき仮執行宣言
第二 事案の概要
一 争いがないか証拠(甲第二四号証ないし第二六号証、第二八号証、第三〇号証、第三四号証、第三六号証、第三八号証、第四二号証、第四四、四五号証、第四八、四九号証、第五四号証、第八一号証、第八七号証、第九一号証ないし第一〇四号証、第一一〇、一一一号証、第一一七号証の二、乙第四号証ないし第六号証、丙第五号証、第一八、一九号証、証人川本正の証言、同山田昌世の証言、原告本人尋問の結果、被告林茂樹の本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実
1 当事者等
(一) 原告は、昭和六〇年四月一日に被告学校法人三島学園(以下「被告三島学園」という。)の非常勤理事及び評議員に就任し、昭和六〇年七月三〇日に常勤理事に任命され、同年八月二二日に三島学園の常務理事及び理事長代行となり、昭和六二年四月に理事長となった。そして平成元年四月には三島学園が新設した三島情報ビジネス専門学校(以下「本件専門学校」という。)の校長を兼務していた。
(二) 被告三島学園は、全日制課程として三島高等学校、専門課程として本件専門学校を設置している。三島学園は、その運営のために理事七名、監事二名の役員が置かれ、理事は理事会を構成し、理事会を召集する等の権限を有する理事長一名を選任する。理事長に事故がある場合等に備えて予め理事会が定めた順番に従い、他の理事が順次理事長の職務を代理する。理事会は評議員会の意見を聞いて監事二名を選任する。監事は私立学校法の定める権限を有するほか、予算、決算の作成に意見を具申する。他方、理事の内から理事の互選によって定められた者四名、卒業生の内から理事会において選任された者二名、在学者の保護者の内から理事会において選任された者二名、三島学園に関係ある学識経験者の内から他の評議員の過半数をもって選任された者五名等合計一六名の評議員をもって評議員会を構成し、予算、借入金、基本財産の処分並びに運用財産中の不動産及び積立金の処分など重要な事項についてその議決を要件としている。
承継前の被告上杉茂(以下「上杉」という。)、同林茂樹(以下「被告「林」という。)、同飯田和信(以下「被告飯田」という。)はいずれも昭和六三年前後に三島学園の理事の職にあった者(上杉は以前から三島学園の理事であったが、平成三年四月八日に三島学園の理事長となった。被告林は昭和五八年四月頃から平成三年四月七日まで三島学園の理事であったが、同月八日からは同学園の監事となったほか、静岡県私立学校審議会委員等にも就任していた。被告飯田は、昭和五九年四月一日に三島高等学校の副校長となり、翌年に三島学園理事・評議員兼三島高等学校校長に就任した。)、被告村田諭隆(以下「被告村田」という。)は昭和六三年前後に三島高等学校の事務長であった者、被告大川久江(以下「被告大川」という。)は、監事の職にあった者、被告日高大(以下「被告日高」という。)は三島高等学校教員の職にあった者(平成三年度に本件専門学校長)である。
(三) 静岡県には総務部及び企画調整部等が置かれ、総務部には、人事課、財政課、税務課、文書課、学事課等が置かれ、学事課は、私学振興の総合計画に関すること、私立学校、私立専修学校及び私立各種学校に関すること等の事務を行い(静岡県行政組織規則一三条、一一二条、一一三条・乙第六号証)、庶務係、小中高校係、専修学校係等が置かれている。
(四) 被告三島高等学校父母の会(以下「被告父母の会」という。)は、三島高等学校生徒の父兄及び同校職員により組織する権利能力なき社団である団体であり、同会には会長一名、副会長三名(内一名は学校長)、監査委員二名及び補導委員若干名の役員を置いている。そして平成二年度は、被告岡田憲明(以下「被告岡田」という。)が同会会長、被告渡辺修身(以下「被告渡辺」という。)、同松田久佳(以下「被告松田」という。)及び同飯田和信(以下「被告飯田」という・三島高等学校校長)の三名が同会副会長、被告岩崎弘信が同会監査委員、被告五十嵐昇(以下「被告五十嵐」という。)が同会補導委員長であった。
(五) 被告三島高等学校同窓会(以下「被告同窓会」という。)は、三島高等学校の卒業生により組織する権利能力なき社団である団体であり、同会には会長一名他の役員を置いている。そして平成二年度は、被告岩崎ふみが同会会長であった。
2 本件専門学校設置に向けた三島学園と静岡県との交渉等
(1) 被告三島学園は、かねてから本件専門学校の設置を計画し、学内に設置委員会を設けて検討していたところ、昭和六二年一一月七日に同委員会で本件専門学校を設置することが妥当であるとの結論に達した。これを受けて三島学園は同年一二月三日に理事会及び評議員会を召集し、本件専門学校設置の方針を明らかにし、了承を得た。もっとも建設資金の調達が十分でないために、当面は三島高等学校の敷地内にあって一部を同校同窓会のために利用している建物である生活館を校舎に転用することが前提であった。しかし、この点について、昭和六三年三月八日に開催された理事会及び評議員会に評議員として出席していた被告岩崎ふみが、前年の一二月七日に開かれた専門学校設立準備委員会に招かれて同窓会館を兼ねている生活館を改造して本件専門学校を作るという話を聞いて驚いたこと、その会には原告、飯田校長、前島理事のほかには誰も理事が出席していなかったこと、生活館の建設には同窓会も協力し寄附もしているのであるから、もしこれを本件専門学校の校舎に転用するというのであれば事前に説明しておいて貰いたかったと述べたため、改めて同月一六日に同窓会の緊急役員会、同年四月一四日に同窓会役員会、同月二三日に同窓会総会を開き、この点を討議することとなった。同年四月二三日に開かれた同窓会総会においては、三島学園側から飯田校長が、新生活館を建設し、そこに同窓会館を設置するとの方針を明らかにし、その結果、同窓会においても本件専門学校設置に賛成するとの決議がなされるに至った。同年五月一〇日に開催された理事会及び評議員会でも、生活館の問題に質疑が及んだが、本件専門学校設置の必要性についての原告の説明とともに、飯田校長から改めて、生活館はグランド敷地などに将来同規模の生活館を建設する予定であり、その中に同窓会室を確保するとの説明がなされたため、本件専門学校を設置することが被告林を含む理事全員の賛成で可決された。そこで、被告村田は同月一二日に設置計画書を携えて被告静岡県の学事課を訪れ、設置認可についての事前の折衝を始めた。
(2) 専門学校を設置しようとする場合、あらかじめ設置計画について私立学校審議会の答申を経て知事がこれを承認し、次いで設置について同審議会の答申に基づき知事がこれを認可するという手続が践まれる。静岡県では、手続の円滑を図る等のために、設置計画書の提出前に事前相談を求めることになっており、開校の前年度の六月三〇日までに設置計画承認申請書を提出すべきことを予定し、指導しているところ、事前相談から認可までは、計画概要書による事前相談、設置計画書の提出、私学審議会への諮問、同答申、計画承認、設置認可申請書の提出、私学審議会への諮問、同答申、認可(認可書交付)の順で審査がなされ、通常専門学校の開校まで二年程度かかるものとなっている。日本で初めて木造住宅の大工を養成する専門学校として、静岡県としても積極的に設立を推進した日本建築専門学校の例でも、事前相談が昭和六〇年五月二四日から始まり、昭和六一年一二月一五日に計画が承認され、昭和六二年四月一日に至って開校している。設置計画の当否、設置の当否の審査のために年三回程度私立学校審議会が開催されることになっており、昭和六三年度の第一回は同年七月二六日に、第二回は同年一二月一九日に予定されていた(もっとも既設の建物設備を利用する等の場合には必要な期間は自ずと短くなる。)。
(3) ところで昭和六三年五月一二日に学事課を訪れ、設置計画の概要を説明した被告村田に対して、杉山哲雄(学事課専修学校係長)等から、普通は順調に行っても開校までに二年かかると考えられるが、どうしても昭和六四年三月に開校しなければならないのか、類似の学校が東部にはいくつもあり競合するが、生徒が集まる可能性があるのか、同窓会の意向も尊重する必要があり、総会の議事録と会長の同意書があるのが望ましい、将来建設するという生活館の概況を明らかにして貰いたい、教育課程にも過不足がありなお検討すべき点がある、教師としては専任の者を新たに採用する方向が望ましい、などの点について教示ないし指示がなされた。被告村田等は、これらの点を検討の上、同年五月三一日に学事課に対して、情報処理科定員八〇名、情報事務科定員六〇名で本件専門学校を設置したいとの設置計画承認申請書を提出したが、その内容について学事課から更に種々の注文がついて、同日以降も本件専門学校設置に関して学事課と協議を重ねることとなった。
(4) 同年六月二〇日には、学事課から、人件費の内訳に明らかでない部分がある、学則中に授業時間の記載不相当の部分がある、などの点について検討すべきことを指示され、同年七月六日には、本件専門学校設置に関して、①情報処理・情報事務科の両学科を通じて高度な専門技術を持ち、即戦力となる人材の育成を図れる内容となっているかどうかを情報処理科の一本化することを含めて検討すること、②教員のほとんどが三島高校の現職教員であり、また専門教員が三人であるが、そのような体制で専門課程の教育内容・水準の向上が図れるか検討すること、③専門学校の設置につき適正な手続により法人内部の意思統一が図られているか検討すること、の指示がなされ、三島学園側は指示に従い検討する旨回答して作業を進めた。
(5) こうして、三島学園と静岡県学事課との折衝にもかかわらず、本件専門学校設置計画の承認申請の件は同年七月二六日の私立学校審議会に議案として上程するに至らず、同年八月五日に至っても、教科内容、教員数の再検討の必要と並んで東部になおどれほど専門学校の需要があるかを調査するのが望ましいとの注文が学事課からつけられた。なお、同年九月二日、学事課長川柳重美から三島学園に対して、七月六日付の指示内容に関わる事項を審議するために役員会(理事会及び評議員会)を開催すべきことが指示され、これに応じて同月一六日に三島学園で評議員会が開かれたが、そこには被告林は欠席となっていた。被告林は県教育委員会の定例会の日にあたり都合が悪いから期日の延期をして貰いたいとの希望を出していたが、原告はこれを容れず、また出席した上杉理事や岩崎評議員からも林理事の意見を聞くべきではないかとの意見が出されたが、田上理事の、林理事は当日の決定を承認すると思うとの説明とともに、学事課の指示により懸案事項となっていた専門学校設置計画の変更(学科数の減少、教員の増加等)の承認の決議した。その後、同年一〇月三日、杉山が被告村田を通じて原告に対し、役員会の意見の一致を得ること、地域の需要を調査すること及び他の高等学校への影響を調査すること等の検討を依頼し、同月五日、川柳が原告に対して、もう一度役員会を開いて全員の一致を求めて貰いたいと要求したこともあった。
(6) こうした経緯を踏まえて、原告が同年一〇月一四日付の本件専門学校の設置計画書を同月一九日に学事課に提出した結果、同年一一月七日の私立学校審議会委員による現地調査(本件専門学校を設置した後の運営に不安がないのかとの点に併せて、出席委員から生活館問題や教員数の問題が現地でも問われた。)を経て、同年一二月一九日、案件は私立学校審議会に諮問され、設置計画の承認が全員一致で決議された。もっともこの決議には、本審議までには、理事会の意思統一をはかり、生活館の廃止によって今後の高校教育に支障を来さないように努力するとの二点につき申請者に解決を促すべきであるとの、本件専門学校設置に反対の意見を有していた被告林及び上杉の連名の意見書に基づく意見が付された。同年一二月二六日には静岡県はこの答申に基づき設置計画を承認し、次いで、平成元年三月七日に三島学園から本件専門学校の設置認可申請書が提出され、これについても同月二二日の私立学校審議会の設置認可は妥当であるとの答申に従って同月二五日に設置が認可され、三島学園は平成元年三月二八日静岡県知事から設置認可書の交付を受けることができた。
3 原告退職の経緯
平成三年三月頃、三島学園関係者の中には、原告の学園経営の姿勢等を批判する者が現れ、NHK、静岡新聞、静岡放送等のマスコミ各機関も、「父母の会が緊急総会、三島校経理問題、前理事長の退陣を要求」、「経営改善提案を求め県が三島高へ指導通知書」等のタイトルのもとに原告と三島学園との関係について報道した。また、被告大川は、同年三月一日三島学園理事長鈴木志正宛てに、私立学校法第三七条第四項に基づいて理事長の業務執行を監査する、監査日時は監事である大川の随時とするとの通知を発した。こうして原告は平成三年三月二日に三島学園の理事長を退き、同月一三日に本件専門学校の校長の職をも退くことになったが、理事の地位はなお保持した。この間三島学園の理事長の職務は、定款の定めにより予め指名されていた上杉が執り行うことになっていた。同年三月五日には、被告父母の会会長である被告岡田、三島高等学校校長である被告飯田から、臨時の常任委員会及び補導委員会を開いて、原告が経営する二つの営利会社と三島学園との経理問題を検討したいとの通知が各委員に対して発せられるということもあった。また被告大川は、三月七日、理事長の業務執行状況の監査を実施し、同月一二日、学校法人三島学園及び監事大川の名で静岡県知事に対し、監査の結果不整の点を発見したとの監査報告書を提出するとともに、私立学校振興助成法に基づく検査等の措置をとられたい旨の要望をした。当時三島学園に対しては静岡県から年間三億円弱の補助金が交付されていたが、静岡県は、同報告書を受けて平成三年三月末に実行されるべき約九〇〇〇万円の補助金の交付を保留するとの方針をとり、学事課により三島学園の静岡県私立学校経常費補助金等にかかる調査が同年三月一五日から数日間にわたり実施された。その後、同月二六日、静岡県総務部長名で右の調査の結果改善を要する事項があったとして三島学園理事長職務代理者上杉茂宛に指導通知がなされた。改善を要する事項として指摘された点は、学校法人と理事との実質的な利益相反とみられる行為はさけること、理事会開催前に評議員会の開催を請求していた任期切れの評議員の一部を、緊急動議により改選するなど不適切な点が見受けられるので、適切な理事会運営を行うこと、法人業務に関する重要事項については、寄附行為に基づき事前に理事会及び評議員会の議決等を得ること、学園の混乱を招いた現実を厳しく認識し、速やかに学園の正常化を図ること、などであった。原告は、その後平成三年四月七日に任期満了により三島学園の理事の地位も失った。
二 争点
本件は、右の背景事実のもとに、三島学園の理事長であった原告が、三島学園が新たに設置を計画した本件専門学校の設置認可事務が、原告に反対の立場をとる当時の理事である被告林及び情を知った被告静岡県の担当者らの妨害により遅延させられ、結局設置が認可されたものの、この間に強いられた苦労によって精神的苦痛を被ったとして右の者らに対して慰藉料の請求をし、また、右の事情と関連して、被告静岡県を除くその余の被告らの共謀により、原告を三島学園の理事長職から追放する策動がなされ、結局理事長の職を退かなければならなくなったことにより精神的苦痛を被ったとして右の者らに対して慰藉料の請求をし、さらに、三島学園には退職金を支払う慣習があり、原告は三島学園の理事長として功績を挙げたとの理由に基づき被告三島学園に対して退職慰労金の支払を求めた事案であり、争点は次のとおりである。
1 被告三島学園を除く被告らが、本件専門学校の設置認可事務をことさら遅延させることを共謀した上遅延工作をしたか、その結果認可が遅延したか、遅延させたとして、そのことにより当時の理事長であった原告個人に賠償を要する精神的苦痛を生じたか。
2 被告静岡県を除くその余の被告らが、原告を三島学園の理事長の職から追放することを図り、原告をして理事長を退かざるを得なくしたか、そのことによって原告には賠償を要する精神的苦痛を生じたか。
3 原告は被告三島学園に対して退職慰労金請求権を取得したか。
第三 争点に関する当事者の主張
一 本件専門学校設置認可事務の遅延工作の有無等
1 原告
原告は三島学園の理事長として、本件専門学校の設置を急ぐべく種々静岡県に働きかけていた。しかし森藤三(昭和五七年三月三一日に静岡県総務部長退職、同年六月一日に三島学園理事に就任、昭和五八年一月二九日に三島学園理事長に就任、昭和六一年八月一日静岡県出納長に就任)はこれに反対の立場をとり、また被告林及び上杉等は、表面上は同校の設置に賛成していたにもかかわらず、森とともに、専門学校の認可を阻止するため、密かに静岡県総務部学事課課長(昭和六三年四月以前は学事文書課私学振興室長の肩書)である川柳重美や杉山に圧力ををかけ、認可事務が遅滞するように次の事実に代表される種々の工作をした。その結果川柳や杉山は圧力に屈し、七月に予定されていた審議会以前には議案を上程する準備が調っていたにも拘わらず、様々に不当な要求を繰り返し、三島学園から設置認可申請書を提出しようとしても受理印を押そうとせず、上司である当時の静岡県総務部長林省吾にも報告しなかった。これに対して原告は学事課に対して違法不当な取扱を止めるよう働きかけ、当時の静岡県知事である斉藤滋与史の秘書、同知事の夫人及び私学審議会委員等にも適正な処理をすべきことを強く求めた。こうした勢いに負けて、川柳は同年一〇月一四日に至り林省吾に対して本件専門学校の設置の認可申請について報告し、先のとおり同日付の設置計画書が受理された。
① 森は、同年一月頃、所管が違うにもかかわらず、川柳に対しことさら「専門学校の設置には反対だ。慎重にやれ。」と指示した。
② 森藤三は、同年七月四日、静岡県私立学校審議会委員を訪問して、「もし、七月二六日の私立学校審議会へ諮問すればそこへ出て反対する。」と発言している。
③ 杉山は、同年一〇月三日、原告に対し改めて理事会や評議員会を開くことを指示した際、理事である被告林が反対していることがらについてはこれを取り消して、従来の経過について陳謝すべきことを要求をした。
④ 森は、同年一二月七日、複数の私学審議会委員を訪ねて、三島学園には紛争があるらしい、生活館は自分が作ったが、本件専門学校設置に際してそれを勝手に改造しようとしている、原告はワンマンである、一二月一九日の私学審議会では本件専門学校の案件を通さないで貰いたい、と頼んだ。
以上のとおり、同校の設置認可が遅れ、学生募集に支障を来すことになった(専門学校の学生募集は開校前年の同年九月から同年一二月までに大体決まってしまうことは森、被告林等学校運営経験者はもちろん、県の学校関係職員も十分知っていた。)。これは三島学園にとって痛手であり、昭和六三年五月以降をとっても、関係方面への宣伝活動を積極的に行うなど、同校設置に尽力してきた原告にも大きな精神的苦痛を与えた。原告の受けた右精神的苦痛を評価すれば三〇〇〇万円を下らない。
したがって、被告林及び上杉は、原告に対し、民法七〇九条、七一〇条及び七一九条に基づき、被告三島学園は民法七〇九条、四四条に基づき、連帯して損害賠償責任を負う。また森、川柳、杉山の各行為も各人の職務権限を逸脱しており、被告林等と客観的に共同して原告に精神的苦痛を与えたものであるから、静岡県は、原告に対し、被告林、上杉及び被告三島学園と連帯して、国家賠償法一条、民法七一九条に基づき、損害賠償責任を負う。
2 被告静岡県
原告主張事実のうち森藤三の経歴は認め、その余の事実は否認し、又は争う。
3 静岡県を除くその余の被告
原告主張の前段事実の内、森藤三の経歴は認める。③の事実は争う。①、②及び④の各事実は知らない。後段の事実のうち、専門学校の学生募集の内容は開校前年の同年九月から同年一二月までには大体決まり、このことは森、林等学校運営経験者はもちろん、県の学校関係職員も十分知っていたものであるとの部分は一般論としては認め、その余は否認し、又は争う。
三島高等学校の教育施設で、一部は同窓会室にもなっている生活館を改造し、ここに本件専門学校を設置しようとする原告の計画に対し、同窓会から強い反対があり、原告は生活館を別に新築する方針を示して関係者から了解を得た経緯があるにもかかわらず、新生活館建設が一向に具体化されないままに本件専門学校設置が進められたために、新生活館建設の見通しを立ててから専門学校用校舎に改造すべきであるとして平成元年四月からの本件専門学校開校に反対したものである。
二 原告追放の共謀等
1 原告
被告林及び森は、三島学園の経営の実権を掌握するため、平成二年一二月頃から、被告飯田、同村田、同岡田、同渡辺、同松田、同岩崎弘信、同五十嵐、上杉、同大川、同日高と共謀して、原告の三島学園からの追放を計画し、後記のとおり被告静岡県の学事課職員をも利用して紛争を引き起こし、これらの者も積極的に紛争に関わり、被告林等の三島学園経営権奪取を後押しした。原告が三島学園の理事長及び本件専門学校の校長の職を退いたのは、右のとおりの被告らの工作の結果である。被告林等の原告の三島学園からの追放工作は以下のとおりである。
① 平成二年一二月二二日、被告日高は、「クーデターが成功すれば、三島情報ビジネス専門学校長になる。」と公言するなど当時理事長であった原告の名誉を著しく傷つけるとともに信用を失わしめた。
② 被告林、同飯田、同村田、同岡田、同渡辺、同松田及び岩崎ふみ等は、平成三年二月頃、理事長が学校法人会計の金で金塊を購入しているとか、原告が理事長印と預金通帳を持って逃げたとか、あるいは産学共同でソフトウェアを開発することを目的として設立した株式会社エムアイビーシステムと三島学園との関係を指して、そこには人材派遣法違反の疑いがあるとかいう事実無根の噂を広めて三島学園の運営を混乱させた。
③ 先のとおりマスコミ各機関は「父母の会が緊急総会」等のタイトルのもとに原告と三島学園の関係について報道したが、これは被告林らが虚偽の情報を提供したためであり、これにより三島学園に学園紛争が引き起こされた。
④ 森藤三は被告林に積極的に協力し、林省吾及び大野行雄(学事課長)は森の圧力のもとに原告の追放工作に協力した。すなわち、大野や山田(同課長補佐)は、原告に対して、三島学園の理事及び三島情報ビジネス専門学校の校長の辞任届の提出を再三にわたって強く助言した。大野は、同年二月二四日には山田を介して、同月二五日には自らが、電話で原告に対し、理事及び本件専門学校長を辞任して貰いたい旨要求し、同月二七日、翌二八日には、山田が原告に対して、同趣旨の要求をしている。また被告林は、大野に同年二月二二日までに原告の理事及び専門学校長の辞任届を取るように要求している。
⑤ 被告林は、原告に対し、「平成三年二月二八日午後五時に静岡県私学協会応接室において、私宛てに辞任届を提出せよ。」と告げて辞職を強要した。
⑥ 被告林は、同年三月六日、原告宅に電話し、原告に対して、同年二月二八日付で理事を辞めれば何も起こらないが、辞めなければ明日監査が入ること、監査が入った場合には何が出てきても知らないなどと言い、原告の理事退任を強要した。
⑦ 被告大川は平成三年三月七日に実施した監査の際に、原告に対し、「理事を辞めろ。一一日の午前中まで待つ。回答がなければ静岡県知事に報告する。」等の要求をした。原告がこれを無視していたところ、被告大川は静岡県に監査報告書を提出することになったが、その際に被告大川は同月一日開催されたとの三島学園理事会偽造議事録を添付した。
⑧ 平成三年三月一九日、三島高等学校講堂において、父母の会の緊急総会が開催され、同会には約六〇〇人の父兄が集った。右総会において、父母の会、同窓会及びその余の乙事件被告らは、事実確認も全くしないで「前理事長鈴木志正氏による本学園運営にまつわる数々の疑惑」なる文書を作成し、配布した。右の文書には、有限会社トーリ、株式会社エムアイビーシステムがいずれも原告が代表を務める会社であり、それらと三島学園が取引をしたことによって原告は不当な利益を得ていたと疑われるなど不明朗な点が多数あるとの虚偽記載に合わせて、原告は原告を支持する立場にある理事前島正雄、同田上譲、同鈴木豪とともに即時退陣すべきであるとの要求が明らかにされていた。これにより原告の名誉信用は著しく傷つけられた。
⑨ 林省吾(県総務部長兼私学審議会委員)、大野及び杉山は、その権限を濫用して、同月二六日、学事課員に三島学園の静岡県私立学校経常費補助金等の調査をさせ、その結果改善を要する事項があったとして三島学園理事長職務代行者宛に通知をしたが、その内容には原告に不利な虚偽の事実が含まれ、原告はこれにより窮地に追いやられた。
以上のとおり、被告林、上杉、被告飯田、同村田、同岡田、同渡辺、同松田、同岩崎弘信、同五十嵐、同岩崎ふみ、上杉、被告大川及び同日高(以下「被告林ら」という。)は、客観的に共同して公然と客観的真実に反する事実を摘示し、また原告の理事長の退任を強要し、原告を理事長から退任せざるを得なくしたものである。被告林等は右行為により、原告の社会的名誉を毀損し、原告に精神的苦痛を与えた。原告の受けた精神的苦痛を評価すれば五〇〇〇万円を下らない。
よって、被告林等は、原告に対し、民法七〇九条、七一〇条、七一九条により連帯して損害賠償責任を負うとともに、適当な名誉回復措置として、被告林、上杉、被告飯田及び同村田は別紙記載一のとおり、被告岡田、同渡辺、同松田、同岩崎弘信、同五十嵐、同岩崎ふみ、上杉、被告同大川及び同日高は別紙記載三のとおり、それぞれ謝罪広告をすべきである。
また被告三島学園は、上杉、被告林、同飯田との関係においては民法四四条により、被告村田、同大川及び同日高との関係においては民法七一五条により連帯して不法行為責任を負う。そして、森、大野らの前記行為は、公務員としての職務権限を逸脱した行為であるから、静岡県は、原告に対し、国家賠償法一条、民法七一九条に基づき、被告林等と連帯して損害賠償責任を負うとともに民法七二三条に基づき、適当な名誉回復措置として別紙記載二のとおり謝罪広告をすべきである。
2 被告静岡県
原告の主張事実のうち前段部分、後段部分はいずれも争う。①、②、⑤ないし⑧の各事実は知らない。③、④、⑨の各事実は否認する。
被告静岡県は、被告大川から、三島学園の臨時監査の結果不整の点を発見したとの報告を受けたので、調査を実施し、その結果改善を要する事項があるとの結論に達したので指導通知をしたものであり、原告個人宛てになされたものではない。
3 静岡県を除くその余の被告
①、②、③の各事実は否認し、④のうち、大野や山田が、原告に対して、三島学園の理事及び三島情報ビジネス専門学校の校長の辞任届の提出を再三にわたって強く助言した事実は知らない、その余の事実は否認し、⑤は否認し、⑥は強要したとの点を除いて認め、⑦のうち、被告大川が平成三年三月七日に実施した監査の際に原告に対し、「理事を辞めろ。一一日の午前中まで待つ。回答がなければ静岡県知事に報告する。」等との要求したことは認めるがその余の事実は否認する。⑧のうち、平成三年三月一九日、三島高等学校講堂において、父母の会の緊急総会が開催され、同会には約六〇〇人の父兄が集ったこと及び同総会において、「前理事長鈴木志正氏による本学園運営にまつわる数々の疑惑」なる文書が作成、配付されたことは認めるが、その余の事実は否認し、⑨の事実は否認する。
原告の主張するいわゆる学園紛争の原因は、原告が代表取締役をしていた株式会社エムアイビーシステム及び有限会社トーリと三島学園との間で利益相反取引をしていたにもかかわらず、理事会に諮ることをしていなかったことにある。そして父母の会の役員が右事実を盾に原告に理事長の退任を迫ったところ、原告が平成三年三月一日の理事会において緊急動議という形で原告の責任を追及していた評議員六名を解任したためである。これが引き金となって、同月一九日の父母の会の臨時総会の開催へと発展していったものである。さらに同総会において配布された文書は、監査報告書に基づいて父母の会の役員がその内容を真実であると信じて作成したものであり、客観的真実に合致するものであり、三島学園の正常な運営を望む被告らが総会の進行運営上必要としたものであり、事実が公共の利害にかかり、目的がもっぱら公益をはかるところにあったものであるから、違法性はない。
三 退職慰労金請求権の存否等
1 原告
原告の理事長就任当時の三島学園の財政状況は、流動資産が約二億九九〇〇万円、固定負債が約三億四〇〇〇万円であって芳しくなく、しかも昭和五二年度以降全学年生徒定数一五〇〇人のところ、この定数を満たしたことはなく、常時一二〇人から一三〇人の欠員を生じており、この状況は昭和六二年まで続いた。
原告は、三島学園の内部改革に着手して、学科の改革、教職員の研修等を積極的に行い(例えば、森藤三に普通科に理数科と同じコースを作るように指示したほか、情報処理科、デザイン科を設置するように提案し、情報処理科の教員養成のために富士通と交渉して同社の電算機学院の六か月コースに毎年二人留学させた。昭和六一年四月、全寮制の文理コースを発足させたが、教室は臨時に生活館を使用した。同時に商業科に情報処理コースを、家庭科に福祉コースを設置した。昭和六三年六月二八日、情報処理科、生活デザイン科、福祉科を設置するために認可申請書を県知事に提出し、それとともに授業料を値上げした。)、昭和六三年度には生徒数も一五〇〇名の定員に達し、その後生徒数は平成元年度には約一六〇〇名、平成二年度には約一六五〇名になった。それに伴い、三島学園の財政も改善された。
理事長城地金之助が昭和五八年一月二八日に死亡した際には、同夫人に宅地(三〇〇〇万円相当)が退職慰労金相当分として贈与され、堀内民次が非常勤理事を昭和六二年一二月一六日に退任した際にも五〇万円が退職慰労金として贈与され、森藤三が昭和六一年七月三一日限りで理事を辞任した際にも退職慰労金として二〇〇万円が支払われている等、三島学園には退職理事等に退職金を支払う慣行がある。
理事と三島学園との関係は委任契約乃至それに準ずる性質を有するから、受任者の報酬請求権等の規定に準じて慰労請求権が認められる。原告の前記功績及び原告の退職に至った経緯を考慮すると退職慰労金は二〇〇〇万円が相当である。
2 静岡県を除くその余の被告
原告の主張事実のうち、原告の理事長就任当時の三島学園の財政状況は流動資産が約二億九九〇〇万円、固定負債が約三億四〇〇〇万円であったこと、理事長城地金之助が昭和五八年一月二八日に死亡した際には、同夫人に宅地(三〇〇〇万円相当)が退職慰労金相当分として贈与されたこと及び森藤三が昭和六一年七月三一日限りで理事を辞任した際にも退職慰労金として二〇〇万円が支払われたことをいずれも認めるが、その余の事実は否認する。
原告は理事会を軽視し、権限を濫用して自己に関係のある私企業と実質的な利益相反取引をし、その結果として三島学園に損害ないし損害の危険を与えたもので、それが原告の退職の原因である。なお、堀内民次に贈与された五〇万円は昭和六二年七月八日に病気見舞金として支払われたものである。
第四 争点についての当裁判所の判断
一 本件専門学校設置認可事務の遅延工作の有無等について
1 争いがないか又は証拠により容易に認められる前掲事実による限り、三島学園の本件専門学校設置計画の承認手続は客観的には遅延していたとまで評価することが困難であるといわざるを得ない。昭和六三年五月の段階で学事課から指示された学校の競合問題一つを取り上げてみても、通常であれば競争によるよい効果が得られるところ、生徒減少期にあっては却って経営困難をも招きかねないとも考えられないではなく、これらを含む検討の指示があながち不当なものであったとも極めつけ難い。その他、学事課から三島学園に対してなされた一連の指示、教示、指導の内容は、実際にそれらをするか否かについて政策的な判断を容れる余地があるにせよ、客観的に不当なものであったことを認めるに足りる証拠はない。
2 原告は、甲事件被告らがことさら注文をつけて手続を遅滞させ、昭和六三年七月の私立学校審議会に議案を上程させなかった趣旨の主張をし、多くの証拠を提出したが、この点に直接触れる証拠に、甲第九三号証以下の電話による会話の録音テープを反訳した書面がある。これらは、昭和六三年当時静岡県の総務部学事課課長補佐をしていた山田と原告との通話内容を、原告が山田に秘して録音していたものを原告の手元で反訳したものであり、順次甲第九三号証(昭和六三年六月四日)、第九四号証(同月一二日)、第九五号証(同月二六日)、第九六号証(同月二七日)、第九七号証(同月二九日)、第九八号証(同年七月二日)、第九九号証(同月四日)、第一〇一号証(同月一二日)、第一〇二号証(同年一一月一〇日)、第一〇三号証(同月一五日)である。証人山田は、これらのテープの内容について質問を受けたが、その内容の真否については詳しいことは記憶にないと答えるほか格別の反論をしなかったから、概ね会話は反訳されていると見られる。
3 右の書証には、概ね原告の主張に沿い、川柳が被告林や森の意向を受け、あるいはその意思を忖度して、本件専門学校設置計画についてなくもがなの検討事項の指示等をしている、課長補佐や係長段階では書類上の問題は七月の審議会に議案を上程するのに間に合わせる準備ができている等のやり取りの記載が各所にあるのであるが、これらの内容を子細に検討すると、その趣旨は必ずしも明瞭ではない。先ず、被告林、森の干渉について触れた部分を甲第九七号証に見ると、原告が、川柳は被告林や森の圧力を受けて困惑しているに違いない、本件専門学校の件は許可でなく認可だから延ばせるだけ延ばせと、多分森と被告林とが口裏を合わせて七月の審議会にかけないということで三島学園の内部で追及させようという、これも一つの筋書きである、という類の発言をして、山田が、そうですか、と応じていることが明らかであり、他方で、第九三号証には、山田が、川柳が設置に反対の意向のようだと発言したのを受けて、原告が、それならそれでよい、自分の方はやりたいようにやる、川柳はもう仕事ができなくなる、幼稚園係くらいしか残されてない、との趣旨の受け答えをしている部分がある。また、第九五号証や第九七号証には、原告が県会議員や国会議員の名を挙げて、それらの者とともに、川柳課長を説得することを提案し、山田がこれを受けて川柳に伝えたところ、同人は個別に会うのでなければ応じられないといったという部分もある。更に山田は原告に対し、川柳は被告林が私立学校審議会の委員であるということに気を使っているのであるから、原告が直接川柳に会えば解決の糸口が見つかるのではないかと伝えたり(第九七号証、一〇一号証)、本件専門学校設置計画書が正式に受理され、私学審議会に上程される運びとなった時期である同年一一月一〇日には、山田から原告に対して、川柳が山田の意見を容れて一二月の審議会に議案を上程するといったので、川柳を救って貰いたい趣旨のことをいったりしている(第一〇二号証)。更に、山田から、被告林の動静について、学事課に出入りする被告林に対して杉山係長が、三島学園の問題を学事課に持ち込まれては困ると抗議したところ、被告林が、それもそうだな、と応じたことなどが話されている。他は大同小異であり、これを要するに、折衝の実務を担当していた山田が、理を説きながら権威者とのつながりも誇示する原告に追従して発言しつつ、事務方には大きな責任はないこと、他方で学事課は私学審議会の委員の動向にも配慮しなければならないこと、などをそれとなく伝えているものであり、被告林の勢威についても、右に認めた事実に窺われる程度に止まり、森や被告林が不当な圧力をかけて学事課の事務を左右しているとの具体的事実が述べられているとまではいえないものである。
本件専門学校設置計画書提出の後のことに属する昭和六三年一一月一〇日から同月一四日の間の川柳と原告との間の電話による会話を原告が一方的に録取した録音テープを反訳した文書と認められる甲第八七号証によっても、森なり被告林なりがいかなる見解を有し、学事課関係者に対していかなる申入れをしたかにかかわらず、静岡県としては、高校生急減期にさしかかる折から、新たに本件専門学校を設置することについては、慎重な見通しを有していたことを窺わせる部分が散見され、また、原告が三島学園の内部において慎重に関係者の承諾を得ることを忘れ、やや短兵急に構想を実現しようとしたことを愚策として難ずる趣旨に理解できるところすら見いだされる。川柳の承知しない録音であったと認められるだけに、その信憑性は高いともいえる。
4 原告は、①森藤三が、昭和六三年同年一月頃、川柳に対し、「専門学校の設置には反対だ。慎重にやれ。」と指示していた、②被告林が、同年五月一三日、川柳を訪ねて、「三島学園の理事会及び評議員会で専門学校の設置に全員賛成したので、これ以上反対できない。出納長にも話をして考えを変えてもらうようにする。」と言っていた、③森藤三が、同年七月四日、静岡県私立学校審議会委員を訪問して、仮に同月二六日の私立学校審議会へ本件専門学校の設置申請を諮問すればそこへ出て反対する等の発言をした、④森が、同年一二月七日、複数の私学審議会委員を訪ねて、三島学園には紛争があるらしい、生活館は自分が作ったが、それを勝手に改造しようとしている、原告はワンマンである、一二月一九日の私学審議会では専門学校を通さないで貰いたいと頼んだ、と主張し、これに沿う証拠(甲第九一号証等)もあるが、いずれも伝聞であり、森藤三がどこまで本件専門学校の認可を遅延させる意図を有したか、その結果いかなる工作をしたかを明らかにするには足りない。
5 被告林については、前掲各事実から、学事課、私学審議会の関係者に対して、機会ある毎に反対の意見を開陳していたことが明らかであり(このことは被告林も本人尋問等で認めている。)、その地位から推して、発言が学事課の事務になんらかの影響を与えることを承知していたことは優に推認しうるところである。そこで、一旦は三島学園の理事会決議において本件専門学校の設置に賛成しているのであるから、学事課や私学審議会における発言が前後矛盾した印象を与え、あるいは事務方を困惑させることに配慮し、行動はより慎重であるべきであったとの批判を容れる余地がある。被告林らの具申に基づいて私学審議会の答申に付された意見が、本件専門学校設置にあたり何らかの働きをしたのかについて具体的な証拠がないこととも考え合わせると、一層その感を深くする。しかしながら、これにより本件専門学校の認可が遅れたとまで認めることはできず、しかも生活館建設が具体化しないままで本件専門学校の開校を急いだ原告にも三島学園の理事の理解を十分に得ないままに行動した面で落度があるともいえるのであって、被告林の行動を不法行為とみることはできない。
6 なお、仮に原告の主張するような事実に類する被告らの行為があり、これにより本件専門学校の設置認可事務に遅滞があったとしても、損害は先ず三島学園自体に帰するものであり、前記の電話録取内容に見られる原告の発言をも斟酌すると、これとは別に原告個人に精神的損害が生じたと認めるのは困難である。
7 以上のとおりであるから、原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく採用できない。
二 原告追放の共謀の有無等について
1 甲第六号証ないし第一二号証、第一四、一五号証、第一七号証の一、第一八号証、第一九号証の一ないし八、第五〇号証、第五五号証ないし第六七号証、第七九号証の一ないし三、第八八、八九号証、第九一、九二号証、第一〇五号証ないし第一〇九号証、第一一一号証ないし第一一五号証、第一一六号証の二、三、第一一九号証の一、二、第一二一号証の一、二、乙第一号証、第三号証、第五、六号証、丙第五号証、第七号証、第一〇号証ないし第一二号証、第一三号証の五の一ないし六、第一三号証の六、第一三号証の七の一、第一三号証の一三、第一四号証の一ないし三、第一五号証の一、二、第一七号証の一、二、丙第一八、一九号証、証人川本正の証言、同山田昌世の証言、原告本人尋問の結果、被告林の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。
(一) 原告は、静岡県立富士見病院事務部長就任当時の昭和五六年四月二日、自宅を本店として農産物の取引等を目的とする有限会社静山薬業を資本金一〇〇万円で設立し、原告の長男鈴木徳彦を代表取締役に(後に妻美代子に変更)、妻美代子及び長女孝子を取締役にしておいたが、昭和五七年秋以来同社は休業状態になっていた。そこで原告は平成元年四月一日、同社の商号を有限会社エム・アイ・ビーと変更し、本店の所在地を本件専門学校所在地に移し、同社の目的を教育機器、教育出版物などの販売等に変更し、代表取締役に原告自身がなり、取締役に被告村田及び原告の娘婿の内山彰を当てた。さらに平成二年三月一五日には同社の商号を有限会社トーリに変更し、目的も衣料用繊維製品、スポーツ用品等の販売等を追加し、取締役村田を鈴木徳彦に代えた。そして、同社と三島学園との間には約七〇〇万円相当の取引が為されている。
平成二年四月四日、原告は、株式会社エムアイビーシステムを資本金七〇〇万円、株式引受人を原告、鈴木徳彦、内山彰及び小林茂(静岡塗装株式会社及び葵開発株式会社の社長)等として設立し、代表取締役には原告自身が、取締役には鈴木徳彦、内山彰等が就任した。そして本件専門学校の非常勤講師八名のうちの五名を同社から派遣して貰う形式をとり、平成三年二月末現在で派遣講師料として総額一三九四万七八一三円を支払っている。しかし原告は三島学園と同社との取引について理事会の承認を得ていない。
また、三島学園は、平成二年九月二八日、前記静岡塗装株式会社に、本館塗装工事を一二〇九万八〇五〇円で注文し、また葵開発株式会社に、樹木の剪定を四六万三五〇〇円で請負わせた。
(二) 原告と有限会社トーリとの関係等は一般に知られていなかったが、平成三年一月中旬ころ、被告大川が、具体的な内容は不明であったものの原告が不正を働いているとの噂があるとして被告林に相談したことがきっかけとなり、被告飯田、上杉及び被告村田に事情を聴くに及んで、三島学園と有限会社トーリ等との取引の概要が明らかになり、また、同年二月六日、父母の会役員が、同年一月下旬に同会の会計ソフトの制作費二〇四万円相当の請求をした株式会社ケムアイビーシステムを不審に思って、静岡地方法務局富士支局から法人登記簿を取り寄せたり、有限会社トーリの法人登記簿謄本を見たことから、原告がトーリの代表取締役を勤めていることも学校関係者に広く知られるところとなった。
(三) 同年二月八日、父母の会は、緊急役員会を開き、作成依頼もしていないのに父母の会の会計ソフトの代金として株式会社エムアイビーシステムから二〇四万円相当の請求があったことの対応を協議し、その際原告の行為に批判が高まり、他の理事に善処を求めることになった。またそのころから静岡県の学事課にも父母の会の役員が幾度となく相談に行くようになった。父母の会の訴えを受けて、理事である田上、被告林、上杉等が同年二月二〇日話し合った結果、理事会の開催を求め、原告の理事辞任を要求することで意見が一致した。右理事らは原告に理事会開催を要求した。
(四) 同月二二日、原告は、理事辞任の意向を三島学園の教員に漏らし、いったんは静岡県の学事課にも辞任したい旨を伝えたが、前島理事からの助言などを受けて辞意を撤回し、その旨を学事課に伝えた。学事課の中には何度も父母の会の役員らの訪問を受け、善処方を求められていたところから、同月二七日、原告に対し、学園騒動になっても困るから理事を辞めてはどうかと持ちかけた者もある。
(五) 同年三月一日、三島学園の理事会が開催され、途中原告の不信任動議が出されたが、賛成及び反対が同数となり、右動議は否決された。また前島理事の緊急動議により評議員の一部が改選された。そして解任された評議員らはいずれも原告の責任を追及していた者達であった。他方被告林は同月二日三島学園事務長に対し、学事課への提出書類に被告林を含む理事全員の署名を得なかったのは納得できない、授業料の値上げについて被告父母の会の同意を得なかったのは相当ではない、理事長の給料は高額に過ぎる等の申入れをした。
(六) 同月六日、被告林は、原告宅に電話し、理事をも辞めれば何も起こらないが、辞めなければ翌日監査が入るであろうこと、監査が入った場合には原告に不利益ないかなる事情が明るみにでるか分からないことなどを告げて、暗に辞任を促した。
(七) 被告大川は同月七日三島学園の業務を監査した際、原告に対し、理事を辞めなければ静岡県知事に報告すると言った。しかし、原告がこれに従わなかったため、被告大川は、同月一二日、静岡県知事に同監査の報告書を提出した。そして同報告書に基づいて、同県学事課は、三島学園の静岡県私立学校経常費補助金等の調査を平成三年三月一五日から数日間実施した。
(八) 同月一二日、原告は父母の会の常任委員、補導委員合同委員会に向けて説明書を送り、原告が代表者を務める会社と三島学園との取引にはなんら不明朗な点はないとの釈明に努めたが、全般的な納得を得ることができなかった。同月一九日、三島高等学校講堂において、父母の会の緊急総会が開催され、同会には約六〇〇人の父兄が集った。右総会において、被告父母の会、被告同窓会及びその余の乙号事件被告らは被告大川の監査報告書に基づいて、原告の主張する事実を指摘した「前理事長鈴木志正氏による本学園運営にまつわる数々の疑惑」なる文書を作成し、配布した(指摘された事実が虚偽であるか否かについてはしばらく措く。)。
(九) 同年四月八日、前日付で理事の任期が満了となった原告は、理事に再任されないで退任となった。
以上のとおり認められる。なお原告は、平成二年一二月二二日、被告日高は、「クーデターが成功すれば、三島情報ビジネス専門学校長になる。」と公言したこと、被告林、同飯田、同村田、同岡田、同渡辺、同松田及び岩崎ふみ等は、平成三年一月ないし二月頃、「理事長が学校法人会計の金で金塊を購入している。」、「原告が理事長印と預金通帳を持って逃げた。(印鑑と通帳を持って逃げた。)」及び産学共同目的で設立したソフトウエアハウス(株式会社エムアイビーシステム)は「人材派遣法違反の疑いがある。」等の事実無根の噂を広めた、森藤三が被告林に積極的に協力し、林省吾及び大野は森の圧力のもとに原告の理事長退任に向けて協力した、被告林は、原告に対し、平成三年二月二八日午後五時に静岡県私学協会応接室において、私宛てに辞任届を提出せよと告げた、と主張するが、右に認めた事実以上にこれを的確に認めるに足る証拠はない。
2 争いのない事実及び前認定事実によって判断するのに、原告の主張する学園紛争は、原告が代表取締役をしていた株式会社エムアイビーシステム及び有限会社トーリと三島学園との間で利益相反行為にあたるにもかかわらず、三島学園の理事会の承認を得ることなく取引をしていたこと、また三島学園は、静岡塗装株式会社に本館塗装工事を注文し、また葵開発株式会社に樹木の剪定を請負わせているが、いずれも株式会社エムアイビーシステムの株式引受人である小林茂が代表取締役を勤める会社であるにもかかわらず、理事会の承認を得ないで取引していたことを理由として、父母の会の役員が原告の責任を追及すべく他の理事及び静岡県の学事課に相談していたところ、平成三年三月一日の理事会において緊急動議という形で原告の責任を追及していた評議員六名を解任したために引き起こされたものと認めるのが相当である。
同月一九日の父母の会の臨時総会において配布された文書は、被告大川の監査報告書に基づき父母の会の役員が作成したものであって、三島学園の正常な運営を望む被告らが総会の進行運営上必要としたものであり、その内容を検討しても直ちに原告の名誉を毀損するものとは言い難いし、事実が公共の利害にかかり、その目的も公共の利益をはかることにあったものと認められる。
原告は、被告等が共同して客観的事実に反する事実を主張し、原告を三島学園の理事から追放したと言うが、被告等の虚偽主張の事実は証拠上認められない。
原告は、三島学園が物品を安く購入できるように有限会社トーリとの取引をし、また、富士通から最新技術を導入しながら知識技術をもって学生を指導すべく株式会社エムアイビーシステムから専門学校の教員等を派遣したと主張するが、そのような原告の意図は理事会等に対して説明されたこともないのであるから、これらの会社が三島学園から不当な利益を取得し、それが究極的には原告に帰することになっていたと疑われてもまことに致し方のないところというべきである。
また、静岡塗装株式会社、葵開発株式会社との取引についても、原告が理事会にかけることなく取引をしたことは、父母の会の役員等に不正な取引があるのではないかと疑われる事情を提供したものと言うべきである。三島学園と有限会社トーリとの取引は、原告は物品を安く購入するためであると主張するものの、理事会の承認を得たわけではなく、契約書等が存在しないこともあり、取引の内容が適正なものであるかどうかははっきりしないし、株式会社エムアイビーシステムとの講師派遣についても、五名の非常勤講師の中には三島学園が直接に雇用契約を結ぶことが可能と思われる者も含まれていた。多額の派遣料を支払う必要があったかについてはなお疑問が残る。例えば、相馬良輔には月額派遣料として二九万九四六三円を支払っているが、同社が同人に支払っている給料は一三万六〇〇〇円にすぎない。さらに飯塚敏子については月額五〇万円の派遣料を請求され、これに応じているが、同女が会計事務所に勤務した経歴があるとしても法外な派遣料と言わざるを得ない。
以上判断したほかに、被告らがことさらに原告を追放しようと相当性を欠く振る舞いに出たことを認めるに足りる証拠はない。原告の主張はいずれも理由がない。
三 退職慰労金請求権の存否等について
証拠によっても、三島学園の理事その他の役員に対し退職慰労金を支給すべきことを定めた規定があることを認めるに足りない(職員に対して理事会の決議により退職金が支給される場合があることについては就業規則二八条に定めが置かれている。)。もっとも、甲第三号証、第二二号証、第五一号証の一ないし三、第一一一号証、丙第五号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、理事長城地金之助が昭和五八年一月二八日に死亡した際には、同夫人に宅地(三〇〇〇万円相当)が退職慰労金相当分として贈与され、森藤三が理事を辞任した際には退職慰労金として二〇〇万円が支払われているほか、非常勤理事堀内民次に対して、昭和六二年七月八日に見舞金として五〇万円が贈呈された事実が認められるが、これらは、当該理事が就任中に功績等があった場合にその都度理事会の決議により退職慰労金等が支払われたというものであって、それが慣行になっていたとまでは認められない。したがって、原告の主張はその余の事実を判断するまでもなく採用できない。
第五 結論
よって、原告の主張はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官曽我大三郎 裁判官今村和彦 裁判官杉本宏之)
別紙<省略>